鎌倉時代

源氏と平氏が壇ノ浦で戦って平氏が滅びました。

この戦いで勝った源頼朝は将軍となり、鎌倉に政治の中心となる鎌倉幕府をおきました。

将軍の家来になった武士を御家人と言います。

幕府は、御家人の領地を守り、手がらを建てた褒美として領地を与えたりしていました。

南朝方の後醍醐天皇に味方した楠木正成が、北朝方の足利尊氏と戦い兵庫湊川で戦死したのが、動乱の始まった年の1336年。

その10年後、父正成の遺訓を守って足利氏に戦いを挑んだのが正行、正時兄弟です。

その最後の決戦は、飯盛山西側山麓一帯で繰り広げられました。

行の死後80年ほどして、彼の霊を弔うために小さな石碑が建てられ、左右に楠が植えられました。

この2本は成長して1本に合わさり、石碑を包み込んでしまいました。

小楠公墓地の楠の巨木がそれです。

墓所は明治8年になって1054坪に拡張され、7.5メートルの石碑が建てられ、

さらに墓所からまっすぐ東に突き当たった飯盛山麓には四條畷神社が建てられました。