飛鳥・奈良時代

古墳時代の終わりごろに朝鮮半島から仏教が伝わってきました。

仏教はインドから生まれ、中国に伝わり、さらに朝鮮半島から日本へと伝わりました。

聖徳太子は仏教の教えに感動し、仏教を基本としながら、隋の法律や政治を手本にして新しい国を作りました。

朝鮮半島からはお経や進んだ学問を学んだ人をはじめ、寺をたてるための建築技術を身に付けた人など様々な技術を持った人が日本に来ました。

紙や墨や絵具なども伝わりました。

このような渡来人の学問と技術で飛鳥寺や四天王寺や法隆寺など次々と大寺院が建てられました。

701年、大宝律令が作られ、役所や役人が増えてきて山に囲まれた藤原京では狭くなってしまいました。

710年に、都が奈良の平城京に移されました。

四條畷では奈良時代にも人々が活発に活動していました。

市内北西部の讃良郡条里遺跡では、第二京阪道路の建設に伴う発掘調査で、

奈良時代になって導入された土地を東西南北に方形に区画する「条里制」が、早くから行われていたことが分かりました。

飛鳥時代から奈良時代に使われた小型の海獣葡萄鏡が見つかっています。

この種類の鏡は出土例の多くが当時都のあった奈良県から出土しており、特に水に関連したまつりを行なった遺跡で多く見つかります。

この鏡は四條畷に都の進んだ制度を取り入れた有力者が、まつりに使用した可能性があります。