安土桃山時代
五畿内を支配した三好一族は、三好長慶の家臣の松永久秀に滅ぼされました。
その後に久秀は信長に滅ぼされ信長の時代になりました。
信長はキリスト教を保護し、鉄砲を巧みに使って天下統一を進めていきました。
信長は四條畷のキリシタンとも交流がありました。
戦国時代に飯盛城で活躍した三好長慶の家臣には、当時流行したキリスト教の洗礼を受けた人が多く、長慶の死後も河内地方ではキリスト教が栄えました。
市内の田原では田原城主の菩提寺である千光寺跡の発掘調査でキリシタン墓碑が見つかりました。
そこには「天正九年」の銘があり、日本最古のキリシタン墓跡です。
この墓碑には「礼幡」という人物名があり、当時の宣教師の文書にある田原城主「田原レイマン」のことと考えられ、
墓碑の人物と文献の人物が一致する貴重な例です。